o 原発稼働ゼロで驚天動地

東京新聞(12/05/05)

 例によって、「原発ゼロ」だとばかりマスコミは大騒ぎです。ずいぶん前からカウントダウンをし、そして本日がその日だと地に足がつかない惨状です。どこかで赤飯を炊いてお祝いデモでもしかねない雰囲気です。東京新聞はもっとも熱心です。もっと冷静に事態を判断し、正確に記事を書いていただきたいですね。皮肉でも何でもありません。原子炉は依然として存在している。この列島から原子炉がなくなったわけじゃないのに、どうしてこうも大仰に騒ぐのですか。定期検査入りで停止したのであって、いつ再稼働されるかは時間の問題。もちろん、ぼくは原発は不要だと思いつづけて来たし、現在もその気持ちは変わらない。原発がなくても生活はできるし、あるいは経済生活もそれなりの水準を維持できると思う。今日、世界中で何カ国が原発に頼っているのか。圧倒的多数は非原発国であり、にもかかわらず(いや、だからこそか)生存に不自由している様子はありません。生活苦はそれとは別個の問題から生じているからです。

 この列島だって、原発に依存しなくても電力不足は生じないのは明白です。原発がなければこの国はお仕舞いだという輩は五万といるけど、その根拠らしい「言い分」はなんですか。ようするに、儲からないからという利益(損益)主義から一歩だって出てやしない。いうまでもないのですが、経済ゴリ押し団体から足元を見られた政治屋に脱原発ができるわけはない。稼働後四十年経過したものから順次廃炉に移る、同時に再生可能エネルギーの新規開発を実施する。これに尽きるというのではありませんか。その方向に進む必要があるのだから、目処を明らかにするばかりです。原発賛成派がどんなに詭弁を弄しても、どんな嘘八百をならべても、廃棄物処理技術がないのに「これからも原発を」というのは狂気の沙汰です。ふたたび爆発事故を起こしたら、この列島(の住民すべてです)は他国(の住民や生物)に対していかにして責任を取るというのか、取れるのか。あるいは地球上から退場するとでもいうのかしら。本日は「子どもの日」だそうです。甍の波に雲の波、と思い切って歌いたいね。(12/05/05)