v 環境にやさしい原発???

読売新聞(11/05/13)

 「Q.原発は安全ですか?」「A.安全です」「Q.危険はないんですか?」「A.危険はないんです」「Q.想定外の地震はありえませんか?」「A.想定外の地震はありえません」「Q.そのようにいいきる自信はありますか」「A.そのようにいいきる地震はあります」「えっ?」「言いまちがいました。いいきる自信はあります」 これは「こだま」ではありません。希有な人災事故を引きおこした当事者がくりかえした自問自答だった(と想定する)。他人は欺せても、自分は欺せなかったからだ。地震発生時に、すでに圧力容器につながる配管等に損壊が生じ、同時に圧力容器や格納容器にも異常が起こり、さらに建屋のコンクリート床にひび割れが生じた。燃料溶融(メルト・ダウン)はその直後に引きおこされたと見ていい。これが、地震発生直後にぼくが直観したことだった。やたらと速度性能はありながら制御するメカの技術がなかったままにエンジンをかけて仮免状態の運転手が自動車を走らせた。そして走行中に「想定外の事態」(地震と津波)が発生した。ハンドルもブレーキもないかわりにスピードばかりを誇った鬼っ子は暴走するほかなかった。停止するためにはあらゆる万象に甚大な被害を与えざるをえなかった。

 燃料溶融を起こしたのは一号炉だけではなかった。二、三号炉もまたそうだった、と今ごろになって東電や保安院は白状した。きっと最初からわかっていたにちがいない。わかっていたけれど、打つ手がないから何万トンという海水を注入するという詐術を続行したのだ。そうしている間に、責任問題や補償問題を我が身の有利になるように画策したといわれても致し方ないだろう。ドイツの社会学者のウルリッヒ・ベックさんはいう。「これはとても重要なことですが、近代化の勝利そのものが、私たちに制御できない結果を生み出しているのです。そして、それについてだれも責任を取らない、組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければいけません」(朝日新聞・11/05/13) 原子力村をいかにして民主主義社会にまで導くか、それはわれわれの責任でもあるのだと思う。(11/05/15)