x 原発の安全性?(承前)

 1957年秋、京都大と大阪大が実験用原子炉を設置しようとして、最初は宇治市に次いで高槻市に場所を特定しようとして大騒ぎになったことがありました。宇治では淀川水系で大阪府民の水源だからという理由で、大阪市から比べればほんの数万人の小さな市だと、高槻にお鉢が回った。地元住民を巻き込み、賛成派・反対派で何度も公開議論が展開されたのでした。細かいことは省略するが、要するに原発の安全性について議論は平行線をたどったが、賛成派の京大教授は「(放射能というのは)三朝温泉が降ってくるようなものだ、大いに飲んでよろしい」と言いつのった。その三年前にはビキニ諸島でのアメリカの水爆実験で日本の漁船員(第五福竜丸)が被爆するという事件が起こっていた。この原子炉設置問題の経緯を見ると、まさに日本の原発はどんなに無理に無理を重ねて作られようとしてきたかがよくわかります。それに荷担する「専門家」の無責任さも。それまでなんの経験もなかったにもかかわらず、アメリカの原発計画に強引に誘い込まれ、政治家(特に正力松太郎や中曽根康弘など)が旗を振り、御用学者(茅誠司・伏見康治など)が提灯持ちよろしくしっぽを振ったのであった。アメリカは原爆開発で多量に保持していたウランを効果的・戦略的にさばくために日本を誘惑し、原子力の「平和利用」を宣言した時代でした。その後、未完成原子炉をアメリカの言い値で輸入し(アメリカ自体が実用原子炉を持っていなかったのだ)、闇雲に東海村で原発は開始され、またたくうちに列島に多くの原発が設置されていったのです(現在は54基)。「絶対安全」というお題目は推進者たちのためのものであり、そういい続けなければ怖くて作れなかった。しかし、どんなお題目でも百万言を費やしているうちにそれを信じ込んでしまうという始末に負えない弱さを人間はもっていることに気づくことができなかった。この世に絶対はないと言い切る勇気(覚悟)をもって事に当たっていたら、事態はもっとちがった経過をたどったと思われるのです。空中に海中に今も多量の放射能は排出されています。(11/05/03)