m 春を恨んだりはしない

 昨年の3.11からやがて一年が経とうとしている。この間、被災地の内側にも外側にもさまざまな状況の変化があったが、事態は好転しているといえるのかどうか。より大きくは自然災害である震災と津波、加えてまさしく人災に発する原発事故。新聞やテレビを含めて、たくさんの情報がこれでもかというほどにぼくたちの頭上に降ってきた。そのいくつもにボクはそれなりに反応して(させられて)きたが、いろいろな点から見て事態は好転しているとはにわかには思えなくなっている。その理由はいくらもあるが、いまは多くを語らない。3.11後にはその記録(書物)もまた数知れず出されている。その一々には触れないが、たまたま読んだもののなかから一、二取りあげ、この欄に記していこうと思う。まずは池澤夏樹『春を恨んだりはしない』(中央公論新社刊、11年09月)。震災発生以来、何度も現地に入りながら考えたことごとについての状況報告書と言いっていい。

 この地に災害は多かった。/ 我らの祖先は何度となく噴火と地震と津波によって殺され、生活の場を壊され、長い歳月をかけて築いた資産を奪われた。いきなり、何の前触れもなく来てしまうのだからしかたがない。理不尽だとか不条理だとか言葉を貼り付けてみたところで何が納得されるわけでもない。/ そのたびに人々は呆然として、泣けるかぎり泣いて、残った瓦礫を片付け、悲しみをこらえ、時間と共に悲しみが少しずつ薄れるのを待って、また立ち上がった。営々と努力を重ねて奪われた家や田や畑を作り直した。忘れることが救いにつながった。/ 災害と復興がこの国の主軸ではなかったか。・・・/ 災害が我々の国民性を作ったと思う。/ この国土にあって自然の力はあまりにも強いから、我々はそれと対決するのではなく、受け流して再び築くという姿勢を身に着けた。そうでなくてはやっていけなかった。(同書)

 この身のこなし方は「あきらめる」といったものではなかったろう。「泣く子と地頭には勝てぬ」といって自然災害を泣く子や地頭に置き換えたりはしないのだ。「勝てぬ」という物言いそのものがひとつの姿勢というか策略であり、そんな分からず屋には別のつきあい方があると言うばかりだったろう。それに対して地震や津波、噴火にはなすすべを知らないというわが身を弁えてこの列島に長い間住んできた、あるいは長い時間をかけて、自然とのつきあい方を自らのものとしたといっていいと思う。(だが、いつの頃からか、自然との分相応のつきあい方を忘れた、忘れたふりをした後に、今回の災害が生じた)「我々は諦めることの達人になった」「ぼくは日本人のこの諦めのよさ、無常観、社会を人間の思想の産物と見なさない姿勢、をあまり好きでないと思ってきた。「しかし、今回の震災を前にして、忘れる能力もまた大事だと思うようになった。/ なぜならば、地震と津波には責任の問いようがないから」

 池澤さんは何度も被災地に入ったきた。いわば、少しばかりの取材と大半はボランティアとして。その上で、「助ける、ということの不条理を意識しなければならない」と述べる。

 人と人の仲は基本は対等。同じ高さにある。そこに何かの理由で差が生じると、それを元の対等ないし平等に戻そうとする力が働く。二つのガラス器をつなぐ通底管に似ている。/ そのくらいのことが機械的ならばお互い気持ちも楽なのだが、我々はどうも彼我の立つ位置を意識しすぎる。「ありがとう」と「いえいえ」くらいの応酬で済めばいいのに、そこにまだ社会的な感情がまつわる。ボランティアは予定の日々が終われば自分の生活や仕事に戻ってゆくが、被災地の人たちはそこに留まるしかない。(同書)

 大学で物理学を専攻された著者。その経験から、いったん事故を起こしたら手が着けられない原発にどうして手を出したのか、と鋭く問を出す。呪文のように「安全だ、安心だ」と自己暗示をかけてまでなぜ手に入れたのか、と。「地球上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに由来するのに対して、原子力はその一つ下の原子核と素粒子に関わるものだという」決定的なちがいを隠したところに問題があった。それは経済・効率性を隠れ蓑に、核開発もまた放棄しないという政治の判断(選択)だったろう。ヒロシマに落とされた原爆に使われたウランは約一キログラムだったが、それをTNT火薬に換算すると一万六千トン分だったという。「両者の間には七桁の差がある」「最新の旅客機であるボーイング777LRは約百六十トンの燃料を積んで一万七千キロ先まで飛ぶことができる。もしも仮にこれが核燃料で飛べるとすれば、燃料は十グラムで済む」 欲に目がくらみ、原子レベルと核レベルの「七桁の差」を無視してしまったのだ。無限のエネルギーという神話は安全神話と双子だった。 

 この先に希望はあるのか?「もちろんある」と、希望をもっていう。少しばかりかも知れないが、自分の生活の仕方(文化=ways of  life)が変わる(変える)、そのためには心の中に変化が来すことに希望を託するのだ。行きつ戻りつ、アンダンテのような緩やかすぎる変化かも知れないが、その先に希望はあると希望をもって生きよう。そんなメッセージが届いた。(12/01/04)