m1 原発ファシズムの全貌

 『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房刊、11年08月) 山本義隆氏は物理学者、科学史家です。

 経験主義的にはじまった水力や風力あるいは火力といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的利用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみにもとづいて生みだされた。実際、これまですべての兵器が技術者や軍人によって経験主義的に形成されていったのと異なり、核爆弾はその可能性も作動原理も百パーセント物理学者の頭脳のみから導きだされた。原子炉はそのハイプロダクトである。その意味では、ここにはじめて、完全に科学理論に領導された純粋な科学技術が生まれたことになる。しかし理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業―原爆と原発の製造―までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する過程は巨大な権力に支えられてはじめて可能となった。その結果、それまで優れた職人や技術者が経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティーの許容範囲の見極めを踏み越えたと思われる。/ 実際、原子力(核力のエネルギー)はかつてジュール・ウェルヌ(フランスの作家。『海底二万里』の著者・1870年刊、登場する潜水艦はノーチラス号で、アメリカ初の原子力潜水艦はこれから命名)が言った「人間に許された限界」を超えていると判断しなければならない。(同書)

 「人間に許された限界」を陵駕してしまったとして、①に核エネルギーが暴走したらもはや人智ではコントロール不能であるということ。②原発は巨大なプロジェクトであり、国家や官僚機構と癒着した巨大(虚大)企業にの連合体よって「遮二無二」進められる結果、個々人の科学者や技術者が主体性や良心を喪失してしまうこと。「プロジェクト自体が人間が飲みこんでゆく」。③自然界では起こりえない核分裂を人為的に発生させた連鎖反応によって、これまた自然界に存在しないプルトニウムなどという猛毒物質をまき散らす、こんな事態に霹靂させられた。起こらないという信仰が破れたら終わりという「人間に許された限界」に向かって、自分たちだけではなく無辜の民までも巻き込んで猪突猛進したのが今回の原発事故だった。原発ファシズムとは異論を一切許さない硬直した体制に起因した。

 日本人は、ヒロシマとナガサキで被爆しただけではない。今後日本は、福島の事故でもってアメリカとイギリスそしてフランスについで太平洋を放射能物質で汚染した四番目の国として、世界から語られることになるだろう。この国はまた、大気圏で原爆実験をやったアメリカやかつてのソ連とならんで、大気中に放射性物質を大量に放出した国の仲間入りもしてしまったのである。こうなった以上は、世界中が福島の教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、そのうえで、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう」(同書)

 原発事故が何度起ころうと停止も廃炉もしないという、その悪魔の仕業は何jに由来しているのだろうか。原発と原爆は双子である以上に、一心同体の表と裏をなしているのだといえる。原子核エネルギーの表向きは平和利用であり、隠された面には核爆弾開発が意図されている。あえて「平和利用」と広言しなければならない所以である。隣国(北朝鮮)の核開発にアメリカや日本が異常な反応を示すのも、その威力が計り知れないものであるという恐怖心からである。それにしても、クリーンエネルギーとはよくいったと思う。これもまた悪魔のささやきだった。本書に引用されていた、20年にわたり原発現場で働いていた平井憲男氏(1997年死去)の証言が印象的(「やっぱりそうなんだ」、と思わされたという点で)だった。

 《冬になると定検(定期点検)工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。・・・海に放射能で汚染された水を垂れ流すのは、定検のときだけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やし、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります》

 ウラン採取の段階から廃炉にするまでのあらゆる場面(気の遠くなるような時間を要する)で、原発は汚染された気体や液体(あるいは固体も)を海中や大気中に排出する。そうしなければ原発は稼働しないし、廃炉にできないからである。首尾一貫して、汚染の総合装置である原発から作り出されるもののどこが、クリーンエネルギーだといえるのか。これから何世代にもわたって、途方もない時間のなかでぼくたちの生活の流儀が衆人環視のうちに問われ続けるのである。(12/01/05)