u すべてを疑え!

 原寿雄著『ジャーナリズムに生きて ジグザグの自分史85年』(岩波現代文庫オリジナル版、11年2月刊) 1925年、神奈川県平塚生まれ。

 「・・・関東平野の西南、東京・日本橋から約60キロ離れた神奈川県平塚の郊外(現平塚市)の大野村という農村。南に太平洋を控えて西に富士山が長い稜線を引き、北に相模大山を望む風光明媚、気候温暖の地である。『こんなところに生まれ育った人間は精神も肉体も軟弱になるだろう』と時折思った。昭和の年号が己の満年齢となり、第二次大戦が終わった一九四五年は二〇歳だった」 水田三反、畑七反の小作農の長男であった。昭和史を自分史に重ねながら成長し、紆余曲折の末、東京帝国大学法学部を卒業(一九五〇年)。共同通信社会部記者として活躍。六〇年以上もジャーナリストとして生きた、その足跡を率直に綴ったのが本書である。マスコミを含め、ジャーナリズムの退廃や腐敗、あるいは堕落や劣化が激しく進行している現在、生涯を賭して一ジャーナリストとして歩いた原寿雄さんに学ぶものが限りなくあると思われます。それはけっしてジャーナリストに限定されないものです。前回はむのたけじさんに触れましたが、方や無所属、此方会社員ジャーナリストのちがいはありますが、ジャーナリスト、ジャーナリズムとはなにかをふかく考えさせてくれる点では遜色なさそうです。

 原さんの「ジャーナリズム哲学」をいくつか。

①「いい答えはいい質問から」質問が議題を設定する。私は一生かけてベスト・クエスチョナーになろうと心がけたが果たせなかった。「すべてをまず疑え」からジャーナリズムは始まる。疑問力を強めるために日常、考える訓練を欠かせない。

②言語表現の自由はすべての基本的人権を支える基礎的自由である。その重要性、貴重さがどこまで自分の確信になっているか。マスコミ不信に対して説得の自信はるか。自分の怠慢のために今日もどこかで誰かが、冤罪に遭っているかもしれない。

③ジャーナリズムをめぐって自由と民主主義が衝突したら、ためらいなく自由を取ろう。自由とは少数派、異端の自由を保障するものである。少数派は常に明日の多数派になる可能性を秘めている。多様性を保障しない社会に未来はない。

④自由のないところにジャーナリズムはない。その自由は、手を伸ばしてみて初めて伸ばせる範囲が分かる。今ある自由を一〇〇%使いこなそう。日本のプレスの自由は世界トップクラスである。ジャーナリズムは、その自由を使い切っていない。

⑤少数意見の報道は賛否のバランスのためではない。真実追究に不可欠なものである。戦時中、少数派を非国民扱いしたジャーナリズムは今も多数派になりたがる。少数意見はもっと意欲的に発掘して、きちんと取材報道する必要がある。異見を飾りものにしない。(以下略)(11/09/15)