w 微笑しながら死にます

 著者のむのたけじさん、ただいま96歳。いわずとしれた反骨のジャーナリスト。「たいまつ」をかかげて闘い抜いた半生でした。今夏、新しい書き下ろしを刊行されました。題して『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書、11/08刊)

 人間の本性は何か、自分の正体は何かをとらえ直そうではないか。私の判断を参考に出しますが、私たちの先輩たちはどんな記録を残しているか。波乱興亡のロマンは、積めば幾つもの山となろうが、中身は三〇字に圧縮できますな。「人は人を支配することにしくじり、人に支配されることにも落第した」と。強大な軍隊と広大な領土をもって勢威を誇った数え切れない権力集団のほとんどが、一五〇年未満で消えた。他方、権力に支配されながら、それをうまく利用して安楽な長い年月を過ごした民衆たちは、どこにも全く居なかった。/ 人は人を支配することが下手だし、人に支配されることも下手なのだ。どちらも性に合わない。人間の本性は、自分の両足で直立して、そして歩いていく姿勢そのものだ。肉体の姿が心の本性そのものだ。自発して自分から動き出すとき、まるで生まれ変わったような、あるいは別人のようなと形容される力を発揮して成長していくのだ。(同書)

 96歳の老人だからすごいと言うのではありません。年齢にこだわるのもどうかと思うのですが、この年齢にしてなお希望を語る、それも嬉々として語る、その荘厳な姿勢に打たれるのです、若輩の身としては。

 今の世には明るいものは余りにも少なく、暗いものは余りにも多く見えるが、両者は別個のばらばらではない。絶望と見える対象を嫌ったり怖れたりして目をつぶって、そこを去れば、もう希望とは決して会えない。絶望すべき対象にしっかりと絶望し、それを克服するために努力し続ければ、それが希望に転化してゆくのだ。そうだ、希望は絶望のど真ん中の、そのどん底に実在しているのだ。/ それがホントだ、と気付くようになったのは九〇歳代になってからのことだ。遅すぎた目覚めとは、思いません。絶望のど真ん中に希望を見るには、それだけの経験を必要としたのだ、と今の私は考えている。それで私の生命は、やっと本当に私自身のものになった。おかしな巡り合わせで、八五歳で胃ガン、九二歳で肺ガンと命取りの病に二度もかみつかれて、どちらも克服した。しかも、生意気を言うようですが、どちらの病気でもノミに食われたほどの痛みも感じないで済んだ。もちろん医療に当たってくれた人たちの診断と手当が適切であったからですが、私の体内に、絶望を希望に転化させる思想が生き働き始めた効果もあったであろう。この思想を人々の参考に供するために、それをこの本のタイトルに据えました。(同書)

 七〇余年、一貫した姿勢で歩きつづけたむのさん。そのジャーナリストとしての矜持は、いかにして鍛えられたのか。これまでの著作にも明らかでありますが、もっとも新しい著書でこそ、彼の真骨頂が明示されているといってもいいでしょう。二〇年前の春、お茶の水で講演したことがあった。「新聞・放送・出版・写真・広告の分野で働く八〇〇人の団体の主催で、私に出された演題は『ジャーナリズムは死んだか』でした。私は語り始めた、『ノンキじゃありませんか』と。『ジャーナリズムはとうにくたばった。死んだものは生き返らせることはできないけれど、ジャーナリズムを死なせておけば社会そのものが死んでしまう。だからみんなで大奇跡を起こしてジャーナリズムを生き返らせるためにいのちがけでがんばろう、と集まったのではないか。現状認識をごまかしてはだめだよ』・・・・講演会はすごい熱気が立ちこめていた。でも翌日からきょうまで主催団体から時おり刊行物が送られてくるけれども、ウンともスンとも言ってこない」(11/09/04)