z 日本は外国か

 ソ連のチェルノブイリの原子炉が壊れまして、死の灰が各地で降って大騒ぎになっておりますが、これは、「地球は一つなんだな」という認識を世界じゅうに植えつけた点で、歴史的な事件だと思います。ソ連の原子炉付近で被爆された方にとってはお気の毒ですけれども、遠く離れた日本にまでジェット気流に運ばれて、少しは灰が降ってきました。平凡なことですが、人間というのはショックが与えられなければ、自分の思想が変わらないようにできているものです。ですから、この事件は大気というものは地球を漂流していて、人類は一つである、一つの大気を共有している、さらにいえばその生命は他の生物と同様、もろいものだという思想を全世界に与えたと思います。/ こういう場合、どの国も〝外国〟であってはならない、という教訓もあたえたでしょう。(司馬遼太郎「樹木と人」)

 この文章が発表されたのは86年9月でしたから、くだんの爆発事故の五ヶ月後でした。この段階でソ連当局は「事実」を隠しに隠した。他国は反ソ宣伝に事故を利用しているとさえいいました。だから、ソ連は外国であるというのです。「ご迷惑をかけました、実はこういう事情です、こういう結果があったのです、被害はこれだけです、皆さんにきっとご迷惑が及んでいると思います、という態度をとって、ソ連は初めて外国でなくなるのです」と。それから26年後、私たちの住む列島で同じような(規模の点ではそれ以上かもしれない)爆発事故が発生した。そして五ヶ月が経過したが、事情はどうでしょう。当時のソ連とそっくり、まぎれもない「外国」ではないかといぶかるほかありません。そして日本列島のなかにいくつもの「外国」があるというわけです。情報の操作、ねつ造、危険を危険といわない不正直、その他数限りないまやかしの連続でした。起こってしまったことは消せないし、元に戻すわけにもいかないが、さて、現下の危険性はどこにあり、それは今後どうなる(どうする)ということすらいわないままで、いたずらに事故が風化するのを待望しているのではないか。爆発事故の半径何キロ以外の人間もまた、私たちは大丈夫だという根拠のない安心感を持とうとしている。おそらく私たち自身が被爆者なのだという認識に欠けているのは、大衆(私たち)もまた外国人だという意識に支配されているからでしょうか。この不幸は止まるところを知らないようです。(11/08/28)