Drink Alone

 願わくば 酒仙になりたや 秋の宵徳利 

 「酒飲みの自己弁護」などといいます。それに対して「煙草のみの自己弁護」とはいわない。どうしてですかね。それだけ、酒は人を失わせるということか。ながく生きているけれど、酒にかこつけて自己弁護をした記憶がない。記憶がないというのは、自己弁護をしているのかも知れないから、自信はない。しかし、いい気持ちになるために酒に接するのであって、弁護や愚痴をいうためではないのはたしからしい。弁護や弁解は素面のときに限る、酒の席ではほめられないようです。酒はいける口ですかと問われるが、「とんとあきません」と答えることにしている。あきませんというのは、ダメです、弱いですという意であって、けっして「飽きません」ということではありません。いつでも夢をと歌ったのは吉永小百合でしたが、いつでも酒をきこしめしたいものですね。一年中でいつが、酒の季節かといえば、どうでしょう。素人が生意気をいってはいけませんね。あれこれ時節を選べるほどの域に達していないのですから。ひたすら練習です。もちろん雨天、曇天決行(結構)です。(11/09/09)

 酒中に真あり、という。また「酒に交われば、赤くなる」とも。この「サケ(シュ)」はぼくにとってはいのちの水だ。いや、いのちの泉だ。素面(しらふ)でまじめを装いながら、子どもを殺そうとする人間は五万といる。独酌は独学に通じる。そして、独学は独立に、独立は独歩にいたる。そんな独酌をこころしているのだ。「知らないことはわかりようがない、それは無知ではない。わからなければならないことを知ろうとしない、それが無知だ」(むのたけじ) 自堕落なわが生活に赤面しつつ、独歩を志向して独酌しよう。(10/03/15)