n 国家は壊れていく

 鳴り物入りで「政権交代」して二年半。行方を定めぬ彷徨ならぬ、破滅への道をまっしぐらに進んでいるとしかいいようがない。これならまだ自民党の方がましだったというのではない。最低線をさらに堕ちようとしていたのが自民党政権だったのだから、代わりは誰でもよかった、というより民主党しかなかった。偕老同穴といえば、同じ墓に入ろうというくらいに仲むつまじい夫婦をさしていった表現だ。自民と民主が夫婦なら、まさしく同じ穴の狢であるのだが、どうもできの悪い兄弟のようで、二つの立て付けの悪い住宅を行ったり来たり、出たり入ったりしているご同輩が幾人もいる。この馴れ合い放題の兄弟に共通しているのは、庶民(国民とはいうまい)をなめきっているという点にあろう。庶民風情が泣こうと喚こうと、知らぬ存ぜぬの無視を決め込んでいるではないか。マニフェストは紙切れで、口から出任せだった。政権交代と浮かれた庶民は言い面の皮でした。どんなカネでも取れるところからいくらでも巻き上げ、保身のためにそれをおのが銭の如くにばらまいている。震災だ津波だ、原発事故だ放射能だと騒ぐだけ騒がせ、それは自己責任ですよといわぬばかりに酷い仕打ちをくりかえしている。

(読売・11/12/25)

 原発は作る、遅れている国に輸出するという。放射能汚染をまるごと輸出するような手合いである。国策で招いた被災だから、まるごと税金で電力会社の面倒を見る。ダムは造る、高速道路は造る。新幹線は走らせる。後は野となれ山となれ。いかにもやりそうな話だと思う。国破れて山河在りでも、その山河はこれでもかと汚染されてしまった。EUでは大変な危機が生じているにもかかわらず、借金が一千兆円あろうが「この国は安心だ」と空念仏を唱えるばかり。安心だとか安全と言われたら、それは紛れもなく危険の印だとはしばしばのことだったし、今回は死ぬ思いまでして経験した(させられた)。その昔、路面電車が盛んに走っていた頃、安全地帯(停車場)での事故が多発した。道路の真ん中を電車が走り、乗ろうとすると安全地帯にいなければならなかった。そこに車が突っ込んできた。「おい、気をつけろ。ここは安全地帯だから」と志ん生もよく言っていた。今にして思えば、政治家や偉そうな物言いをする御仁の宣う「安全神話」という代物には歴史があった。「百年安心」の年金制度と利いた風なことをほざいて、何のことはなかった。後何年維持できるのか。百年安心とは社保庁だったかの役人のために言われていたとは迂闊千万ではありました。収入とは身を粉にして稼いだ金員をいうのかと思ったら、打ち出の小槌を叩いた国債という名の借金だった。どこの世界に月々の実収入以上の借金をしてまで収入を増やす馬鹿がいるのだろうか。わが身が浮くなら、他は沈んでもかまうものかという破廉恥漢、それがこの国のポリティシャンの実態だ。

 「借金の飛ばし」「借金の付け替え」などと冗談にもほどがあるといいたい。特別会計などという目くらましで「隠し予算」を捏造しておいて、見掛けをごまかす。種が割れているじゃないか。なにを言っても道理が通じないのが永田町の面々なのだ。国会(議会)はいらない。したがって議員も不要、つまり政党はお払い箱にしたい。政党は壊れ、議会が壊れ、国家も屋台が揺らいでいる。わが住む町やそれぞれの地域で身の程を知った生活経済に徹底するはほかない。政治にカネがかかるのではなく、カネをかけるのだから始末に悪い。そんな輩に助成金という血税が垂れ流される。そして、ここに厄介な問題が残った、霞ヶ関の諸兄の始末だ。雲か霞か知らぬが、政治家たちを手玉にとって、国家を破滅に導いているのでは。「改革」だと叫ぶたびにまるまると太る体質をなんとしよう。(11/12/26)