Grass Roots

 歩くから道になる 歩かなければ草が生える(みつを)

「数年前のことだが、もし将来自分の本を世に送る日があるなら書名は『夜の終りに朝が来る』にしようと考えたことがあった。(略)しばらくして、ある図書館から色紙に何でもよいから書いてくれとたのんできた。いつかうまれるであろうわが書の題名を書いた。小学校にはいったばかりの子が、それを傍で見ていて、字の説明を求めた。

「とうさん、どうして朝の終りに夜が来ると書かないの?」

 童心のほんの思いつきの言葉であったかも知れないが、それは父親のまさに〈からだ〉を突き通した。たくさんの未来を所有する一つの生命にむかって、何を根拠に、来つつあるものは朝だ、と言い切れるのか。何をたよりに、来つつあるものは夜ではない、と言えるのか」(むのたけじ『雪と足と』文藝春秋新社、1964)(10/05/04)

  「人は道を造る。道は人を造らない。人は道を選ぶ。道は人を選べないし選ばない。人は自分のコースを自由に造れる。道は自分のコースの外に出る自由を持たない。人と道とはこのようにかけ離れて違っている。それなのに、人の生き方という最も重い問題を考える際に、何ゆえ道の一語が持ち出されるのか。道徳、人の道、人道主義、道義、道場・・・・。おかしいよ。何か悪意がありはしないか。道という固定観念を持ち出すことで、人間生活からできるだけ自由を奪って固定化しようとする何物かのたくらみが働いているのでないか?」(むのたけじ)(09/11/14)