r これもまた、ごね得か

大川小被災、外部に検証依頼へ 石巻市教委

大川小学校の保護者(手前)との会合に臨む宮城県石巻市教育委員会の幹部ら=18日午後、石巻市

 宮城県石巻市教育委員会は18日、東日本大震災で児童・教職員計84人が死亡、不明となった大川小学校の保護者との会合を同市内で開催し、被害の原因について外部組織へ検証を依頼する方針を明らかにした。/ 市教委側は「どうして大惨事を招いたか原因を追究したいが、私どもの調査だけで足りるのかという考えもある」と外部組織に調査を依頼する考えを示した。/ 市教委は、生き残った教諭1人や児童から聞き取り調査を実施。児童と教職員が地震発生から50分近く校庭に待機し、津波襲来の1分ほど前に避難を始めたことが分かっている。(河北新報・12/03/18)

 救いようのない頽廃というほかないのが、教委の対応というか、目眩ましです。一年が経過してもなお、被害者の霊に直面しようとはしていないのですから。のらくらと言い逃れに徹して、いったい逃げ切れると考えているのだろうか。おそらく個々の被害者の遺族はどれだけ当局を責めても亡くなったいのち(子ども)は戻ってこないことをしっている。子どもを返せと絶叫しても、再び愛しいわが子と相まみえることはかなわないことを百も承知で、しかし教育委員会をはじめとする当局のいのちを尊ばないふざけた態度にやりきれなさを感じているのです。それでは、あまりにも子どもが不憫じゃないか、と。

 大川小学校のケースにかぎりません。まさしく人災と思われるような事件や事故が相次いでいるにもかかわらず、だれ一人として「まっとうに責任を取る」のを潔しとしないのはどうしてでしょうか。「まっとうに生きていないから」というと非難されるでしょうか。失われたいのちに対して衷心から悼む気がないから、遺族の方々は許すことができないと憤怒のたぎりを留めようがないのです。しかし、こうしていても時間は経つ。いずれ時間切れで、逃げ切れるという浅慮が働いているからこそ、教委の不真面目な態度は変わらないのだと思う。きっと、来年の三月にもまた、このような巫山戯三昧の場面に出会うにちがいありません。そんなにしてまで、いったいなにを守ろうとしているのか。(12/03/19)