v 悲しみの消えるときもなく

 死者と行方不明者が二万数千名を数える今回の大震災。亡くなられた方のどのいのちにも同じ尊厳が宿っている。どのいのちがより尊いというのではない。そんなことはいえるはずもない。ぼくにはことばもないというばかりだ。石巻市立大川小学校(okawa school)の悲劇は忘れられないし、忘れてはならない。学校ぐるみの惨劇を知った瞬間、またその悲劇の発生からから五十日以上たった現在もなお、犠牲になった子どもたちの無念、教職員の痛み、犠牲者の遺族の悲しみをわが悲しみとするほかないと、呆然とした意識で思いをたぐり寄せているのである。自然災害に遭遇する悲運はそれぞれだが、ある人は助かりある人はいのちを失う、その分岐点はなんだったか。こうすれば、ああすればという後悔の念はいつまでも消えないだろう。消えないからこそ、ひとりひとりのいのちの尊さが偲ばれるにちがいない。悲しみの深さに応じて取りかえしのつかない思いがあふれてもくるのだろう。学校という場所でたくさんのいのちが奪われたという事実は、大きな傷を残さないでは人に記憶されないのだ。

 死を言へば死の側に居ぬ我々の声まのびしてあかるむばかり(大口玲子) (記事・写真は河北新報による)(11/05/01)