Half Step

落ち葉炊き

 まず半歩から 半端からなんかじゃないよ

  あと一歩、という。むしろぼくは半歩といいたい。一歩も半歩も変わらないじゃないかといわれるかも知れないが、ぎりぎりまできたとき、その半歩のあるなしが状況を決めるのだ。「千里の道も一里から」というのはどうかな。いきなり一里から始めるなんてできないじゃないか。一里の道も一歩から、いや半歩からだ。だから千歩の距離も一歩から、いやいや半歩からといいたい。一歩の歩幅も半歩ずつ、これだったらころびようがないでしょう。それだけ地面に足をつける機会が多いのだ。歩き方は人の姿勢(思想)をはっきりと表現する。歩き方の達人になるのは学校の試験で満点を取るような訓練とは根っ子の部分で、わけがちがう。(10/03/18)

 週末の楽しみと苦しみ。いったいこれまでどれだけの週末を送り迎えしたのだろうか。終りは始まりであり、始まりは終りというなら、そのあわい(間)が今だ。過去と未来の接点こそが現在だといえよう。とするなら、ぼくたちはいつでも身ひとつのなかに過去(終り)と未来(始まり)を合わせもっていることになる。それこそが生きているという事実(を意識すること)ではないかと思う。

 ことさらに週末を云々する必要もないものだが、生活の持続、それも安定したリズムに刻まれた生活をつづけるためには一週間という時間の長さは頃合いだろう。記憶や意識がいかにも怪しくなってきた年齢だから、なおさらそのように思われてくる。まあ一週間くらいなら、あまり無責任にならず、しかもみずからを制御しながら、なんとかつつましく生きのびられるのではないかと、そんな無風流を決めこんで、よろよろ生きるよすがとする。(09/11/13)