t 右手で握手して、左手で・・・

 「…たんに事実や真理を吸収するということなら、これはもっぱら個人的なことがらであるから、きわめて自然に利己主義におちいる傾向がある。たんなる知識の習得にはなんら明白な社会的動機もないし、それが成功したところでなんら明瞭な社会的利得もない。実のところ、成功のためのほとんど唯一の手段は競争的なものであり、しかもこの言葉の最も悪い意味におけるもの―すなわち、どの子どもが最も多量の知識を蓄え、集積することにおいて他の子どもたちにさきがけるのに成功したかをみるために復誦ないし試験を課して、その結果を比較することである。じつにこれが支配的な空気であるから、学校では一人の子どもが他の子どもに課業のうえで助力することは一つの罪になっているのである。学校の課業がたんに学科を学ぶことにあるばあいには、互いに助け合うということは、協力と結合の最も自然な形態であるどころか、隣席の者をその当然の義務から免れさせる内密の努力となるのである」(ジョン・デューイ『学校と社会』岩波文庫版)

 デューイがこれを語ったのは今から百年以上も前のことでした。「社会的動機」も「社会的利得」もないような教育がどうしてこうまで続くのでしょうか。学校の不思議というほかありません。子ども同士が教室で助け合うのも禁じられている。仲良く競争しないなどという芸当はだれにもできない。まるで右手で握手して、左手で殴り合えというような狂気じみた振る舞いを学校は子どもに強いてきたのです。(10/12/11・記)