Idle Day

 「まじめに がんばる」というのはいいことかね 

●たい‐だ【怠惰】すべきことをなまけて、だらしないこと。怠慢。「―な生活」(広辞苑)だそうな。すべきこととはなんだ。

 嫌いなというよりは、使いたくないことば。いくつもあるけど、なかでも「がんばる」はもっとも使いたくない。口を開けば「がんばります」と多くの人は言う。一体何をがんばるのか。がんばられてはたまらないということもあるのです。勤勉はがんばるに通ずるといわぬばかりに「がんばる」「がんばります」とのたまう。まさしく「がんばる、にっぽん!」ですね。ひたすら、ひたむきは悪くはないけど、悲壮感が漂うようになるといけない。いかにも「がんばってんじゃん」と、まるで同情を買うような風景は美しくないと思う。学校の教師なんか、一つ覚えのように「がんばんなさい」と生徒たちを励ましていると思っているかもしれないが、がんばるということばを使わないで、もっと生徒によりそいながら、ことばを発してほしいね。「おれはがんばってるぞ」という人ほど、他人に迷惑をかけているのを自覚していないんだ。

 がんばるの次に好まないのが「まじめ」。ぼくの感覚(実感)として「まじめはこわい」ね。もっとまじめになれと、しばしば説教されたけど、まじめであるというのがとんとわからなかった。「まじめにがんばる」と、ろくなことがないと幼少のみぎりから学んだことでしたね。「がんばれ、がんばれ」といわれながら、「怠けろ、怠けるんだよ」と自分に言いきかせたものでした。(11/01/29)

 文字通り「怠惰な日」というものが人間の生活にあるのかどうか。あってほしい、なければならないといつでも考えている。怠惰はきらわれる。だれからも勤勉がすすめられるのがその証拠だ。「この怠け者め」とまるでゴミのように、触れてはならないもののように忌まれもするのです。しかし、ぼくは根っからの怠け者だし、それをごまかすこともできない。怠惰の中にも勤勉はあるし、勤勉の中にも怠惰はある。それでなければ、にんげん(猫)なんかやってらんないよ。と、「怠惰の日」宣言です。「建国記念の日」などより、いかほどぼくには大切な時間か。(10/03/17)