c 横浜女学院

喜博5 久しぶりに教室に入りました。何度目の授業になるのか、九月の午後のひと時です。校長さんからの申し出で、高校生に斎藤喜博という一代の教育者の仕事を身につまされながら、若い人々の前で話しました。斎藤さんはどんな人でいかなる仕事をなしとげようとしたか。今から見れば、隔世の感がしなくもありませんが、この国が愚かな道をひた走り、国がらみで滅びにいたった時代をくぐり、まるで梅の木に桜の枝を接ぎ木するような塩梅で人も我も「平和と民主主義」というお題目を唱えた教育界にあって、いわば孤軍奮闘するような力技をふるった人でした。群馬も小さな村の小さな学校で、それこそ呻吟するばかりに子どもの可能性を信じて地べたを這いまわった教師でもあった人です。ぼくは大学に入って以来、いつでも斎藤さんに導かれ、叱咤されるようにして、自らのつたない授業を教室に開こうとしてきたのは事実です。それも大学という反教育の著しい不毛地帯でのことでしたから、まるで石ころに向かって声をかぎりに教育の願わしい姿を叫んでいたという始末になりましたが。

高校生にどれほどの受け止め方をされたか、まことにおぼつかない仕儀になったと白状します。教師のまねごとを始めてから間断なくと言いたいところですが、その実はまるで「間欠泉」のごとくにほうぼうの学校でつかの間の授業じみた振る舞いをしてきました。その成果はどこに出たか。ぼく個人にとってはまあ修業のときではありましたが、居室にいる生徒たちにはほとんど語るに値しない苦行であったかもしれません。それはともかく、今回も声をかけてくださった校長先生、教室に入ってくださった先生や生徒たちに感謝の気持ちを伝えたく思います。(14/09/26