v 県立横浜翠嵐高等学校

 10月27日(水)に翠嵐高校の生徒たちが大学に来てくれました。今年で何年(回)目でしょうか。大学の教室で大学生といっしょに小生のまずい授業に参加されるというのだから恐れ入ることおびただしい。知る人ぞ知る、県下に誇る進学校だそうですが、ぼくにはそれがどんな学校なのかよくわかりません。若者とつかの間(一時間半ばかり)をともに過ごすというのはいい経験だと思います。授業のテーマは「子どもの自分と、大人というもう一人の自分」というへんてこなものにしました。幸田露伴(「休暇伝」「番茶会談」)を教材にして、まあ、気楽なムダ話をしたようなことでした。露伴がどういう人だったか、いまとなれば研究者ぐらいしか興味をもたないのかもしれませんが、なかなかの人物だということだけは考えていました。漱石や子規とほぼ同時代(1867年)に生まれて、戦後の1947年に亡くなった。

 日露戦争に負けなかったのを錯覚し、上も下も舞い上がってしまった時代にあって、かれはこの国の先行きを少年に託します。「一等国」などという幻の憑きものに誑かされていない少年にはっきりとこの列島の未来(希望)を託したのです。いつの時代にあっても若い人に期待する、これがまともな大人の態度であり、責任じゃありませんかとでも言うように、です。教材とした作品を書いたとき、露伴さんは三十前後だった。未来は手製に限る、遊びに主意をもてとも。いかにも仲間に語るように、小学生に大人(教師)が話す、それはまさしく露伴の信条(心情)でもあったんじゃありませんかと、翠嵐の若い人に語りたかったのです。(10/10/30)