年忘れ忘れてならぬ恩ひとつ

 あれよあれよという間に、一気に世界の嫌われ者になりはてようとしている。この国のあれやこれや、すべてをあずけたはずはないのに、まこと独りよがりの傍若無人ぶりです。沖縄選出の国会議員諸氏を恫喝し、オレの言い分を聞かぬなら、後で泣きを見るぞとねじ曲げた挙げ句、知事の乱れた心模様を大枚の税金の大盤振る舞いで萎縮させたその振る舞いをなんとしよう。そして「御霊よやすらかなれ」と、いかにもおのが信条を貫通するぞと言わぬばかりに九段坂を一気に駆け上がったのでした。「在任一年の報告をした」とはどのような言いぐさか。「英霊」に報告する眼目は他なし、「戦争をする国」に舵を切った、それはおのが手柄だという語るに堕ちた報告だったというのだろうか。「日本を取りもどす」と切った啖呵も、底が知れたというものです。「オレの手に権力は掌握した」と、世界にそのアナクロな姿を誇示したいばかりに、列島の住民もまた地上の「孤国民」になるという、道連れ(道行き)はゴメン被ると言わなければなりません。それにしても、だ。一体何のために虚勢を張るのか。「積極的平和主義」は米国の専売だと思っていたのは迂闊だった。その親分を差し置いて(出し抜いて)、いまや高らかに去声をを発したのはいかなる虚勢からだったか。これはもはや限界を超えた所行だと言っておきたい。沖縄県の知事もまた、正体を晒してしまいました。「県外移設」を一方の舌で論いながら、もう一枚の舌で「辺野古」だと。有史以来の「政権の配慮」が、今に始まるでなく「空手形」であったのは、この百年に及ぶ「大和」の仕打ちだったのを忘れたふりをしなければならないほど、無軌道な権力者の脅迫が強かったと言うことだったか。あるいは千々(知事)に乱れた心模様には別の魂胆が宿っていたのか。いずれ狐と狸の化かし合い、それに巻き込まれないために最良の道があるかどうか。乾坤一擲、賢慮・熟慮を重ねて、確かな道を歩かなければなるない。(13/12/28)

 

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